北京~モスクワ 第3/4国際列車

第3/4国際列車-中国の駅(塞外~中蒙国境)

張家口南

張家口南駅
  • 第3列車 第一日 11:37着 11:42発 (2007年4月以後 11:03着 11:13発)
  • 第4列車 第七日 9:45着 9:55発 (2007年4月以後 10:36着 10:46発)

 張家口は、戦前から戦後しばらくにかけては察哈爾(チャハル)省の省都。日中戦争中に蒙古聯合自治政府(日本の傀儡政権)が置かれた都市。京包線は市内の外れを走る為、市内の張家口駅には入らず、こちらの南駅に発着します。特に何がある訳ではありませんが、丁度食堂車の営業時間中にこの駅に停車することになり、もし向かいのホームに列車が停車していた場合などは、その列車の良い見世物にさせられます。

大同

大同駅
  • 第3列車 第一日 14:10着 14:26発 (2007年4月以後 13:51着 14:15発)
  • 第4列車 第七日 7:14着 7:22発 (2007年4月以後 7:59着 8:11発)

 山西省第二の都市。近郊には世界遺産「雲崗石窟」があります。ここは太原鉄路局管内。この駅を出てすぐ右側に「歓迎 呼和浩特鉄路局」の碑が立っています。この辺りより塞外。万里の長城を外に出た、かつて遊牧騎馬民族が駆け回った大地なのです。景色は茫漠とした茶色の大地が続き、時折人家が見える程度。

集寧南

集寧南駅
  • 第3列車 第一日 16:13着 16:23発 (2007年4月以後 16:03着 16:09発)
  • 第4列車 第七日 5:15着 5:28発 (2007年4月以後 5:47着 5:56発)

 内蒙古自治区に入りました。呼和浩特方面に向かう京包線と、二連浩特へ向かう集二線が分岐する駅。
 中蒙蘇(ソ連)が鉄道で一本につながった1956年当時は、ここ集寧南までがソ連の軌道幅(1,524mm)で造られましたが、スターリン批判後の中ソ対立の時代に集二線の軌道幅は中国の幅(1,435mm)に変えられました。
 この駅を過ぎると、列車はひたすら寂寞としたゴビ灘を走ります。季節によっては丁度夕食時(17-18時)に砂漠に沈む夕日を拝めますが、「空しい」の一言に尽きます。

二連浩特

二連浩特駅
  • 第3列車 第一日 20:39着 23:15発 (2007年4月以後 20:37着 23:15発)
  • 第4列車 第六日 21:00着 第七日 0:42発 (2007年4月以後 21:00着 第七日 0:57発)

 中国側の最後の駅です。この駅で出国審査、そして台車交換を行います。中蒙が鉄道で結ばれた時に造られた街で、鉄道施設がある以外に特に見るべきものは何もありません。
 中国の国境駅では、国際列車が到着した時に駅員だけでなく出入国管理局の役人も、直立不動でホームに立って列車を迎えます。かつてベトナムへ向かった時、国境の憑祥駅でも同じ光景を見ました。何人もの制服姿がまっすぐに立って出迎えるのを見ると、国境に来たことを感じさせてくれます。停車した後に出入国管理員と税関吏が列車に乗り込んできて審査が始まります。審査自体にものものしい雰囲気はありません。車内でパスポートにスタンプが押されて終了。審査後、モンゴル人たちは列車を降りて街へ出かけていきます。もし列車を降りたければその旨を列車員に伝えないとドアを開けてもらえず、そのまま台車交換場へ連れて行かれることになります。下車する際は必ずパスポートが必要です。出国審査が終わっているのにも関わらず街に出られるのが不思議です。モンゴル人達は街で最後の買い物をするために出ていくようで、台車交換を終えて再度ホームに戻って来た時は、戦利品と共に大挙して列車に乗り込んで来ます。
 この駅で硬臥車1両、荷物車1両、食堂車が切り離されます。
 →RW19雑記「二連浩特での台車交換」もご覧ください。

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